第114号:経営者が考えるべき子供の教育論

 「高校生になる娘に、会社を継ぐよね?と聞いたら、継がないと言われた」と、悲しそうな顔をしながら話してくださったのは、とある企業の経営者です。その場にいた複数の経営者たちは、大笑いして可哀想だなと慰めていました。ところがそれから数年後、その中の一人から「我が家も継ぎたくないと言われました」と報告が入りました。

 事業は安定しており、ご自身も家業を継いでいたため、将来的にはお子さんが会社を継ぐことは当然のことと思っていました。ところがある日、息子さんが「お父さんの仕事は、絶対にやりたくない。だって、そんな働き方したら早死にするし、わざわざそんな忙しい世界に入らないよ」と言われた言葉を失ったそうです。

 そしてその夜、自分の働き方、生き方、子供に見せてきた背中について、真正面から向き合うことになったそうです。お子さんには小さい頃から「好きにすればいい」と口にしながら、本音では「どこかで自分の背中を見て育ってほしいと」と願っていた。そんな自分の願いは、通じていなかったと後悔したそうです。

 経営者として後継者候補を育てることは、必ず向き合わなければならない課題です。誰が後継者になるかはさておき、外部から後継者候補を呼び寄せておきながら、結果的にお子さんを経営に迎い入れることは決して珍しいことではありません。確実な未来は約束できないからこそ、子供への教育は極めて重要なことです。

 その一方で、「うちは大した家系でもないから…」とお子様への教育方針を持たない経営者は少なくありません。理由は明快で、日々の経営があまりに忙しく、「時間がない」「口出ししても反発される」「好きなことがやればいい」といった声が聞かれます。

 そもそも、経営者が考えるべき子供の教育とは、学校の成績や進学先の選定にとどまりません。むしろ、どのような価値観を持ち、どのような社会観を育み、どのような人間関係の中で自分の役割を見出していくかといった「人間としての基盤」が肝心なのではないでしょうか。

 経営者はしばしば「自分の子供には何を残すか」を考えます。財産、地位、会社、ネットワーク…これらを残された子供に、活かして、回して、増やす力を授けていますか。残すことばかり考える前に、どのような価値観や考え方でそれらと付き合っていくべきかを伝承していくことは、意義のあることだと思います。

 経営に対する考え方、お金との付き合い方、人間関係、信念、家族への愛、人間論、人生論、死生観、などの経営や哲学は、人生の指針になります。特に経営者という立場は、社会の中で多くの判断を下し、責任を背負い、挑戦と敗北を繰り返す人生です。だからこそ、親として伝えられるメッセージには、他の誰にも持ち得ない「重み」と「体温」が宿ります。

 経営者としての在り方が、家庭と企業の両方に波紋のように広がっていくのは、実に自然な現象です。子供の教育は、企業経営以上に長期的な投資です。家業を継がせたい、影響力のある職業についてほしい、親のように経済的自由を得てほしい――そうした願いは否定されるものではありませんが、子供にも「意思」があることは忘れてはならないでしょう。

 子供を育てることは、経営者自身が「育てるという行為」を再定義し、経営者としても人間としても成熟するチャンスでもあります。焦って成果を求めるのではなく、日々の小さな変化に目を向け、信じて待つという「投資スタンス」を得るよい機会です。

 経営とは何か、教育とは何か、そして人を育てるとはどういうことか。これらの問いが一本の線でつながったとき、経営者としての視座は新たな次元に到達するのではないしょうか。

 経営者の子供だからこそ与えられる経験、経営者の親だからこそ伝えられることは何ですか?