第2号:人材の資産価値を上げられない社長の人材観

親しい社長たちと食事しながら話題に上ることの多いテーマの一つに、社員に対する愚痴があります。

先日も「うちの業界は、イメージ悪いし、いい人材なんて採用できないんですよ。」とため息交じりに語りはじめたある社長。

「世の中の基本的なことも知らないし、人と話もできないし、算数だっておぼつかない。本当にポンコツ社員ばかりだ」と、愚痴や不満が止まる様子がありません。

話を聞いていると、無断欠勤やらなんやらで問題の多い社員ばかりが入ってくる。マネジャー陣には、日ごろから採用は、「信頼できる人かどうかが大事だ」と口を酸っぱく伝えているのに一向に改善されないという嘆きです。

顧客対応や期日、品質管理等に追われている現場ほど、人材に対する困りごとを抱えており、「信頼できる」というように人物評価に重きが置かれ、仕事に対する期待値は「最低限のことができる」と低く設定されがちです。

少し冷静になれば、本当に必要な人材は「当面の業務をこなせる人なのか?」、「信頼できるとは、どんなことを指すのか?」…と自問できるはずですが、とにかく目前の業務に対応できる人材をあてがうことに意識が向いてしまう。

こうした社長の人材観は、「社員はいつか辞めるし、いなくなる可能がある。教育なんてしたところで結果は変わらない。成長したければ自分でやればいい。文句を言わず、長く働いてくれたらラッキー」的な感覚で人を雇っています。

言い換えると、「人材を消耗品的な感覚で使っている」ということです。足りなくなれば、代わりを探せばいくらでも見つかると思っているふしがあります。

「あっ、ばれちゃった?」と思った社長、実は多いのではないしょうか。

「ヒト・物・金・情報…」という経営資源で、社長の関心事は、物・金・情報…に向かいます。ヒトに無関心とまでは言いませんが、その感度が他と比較すると鈍くなります。もちろん、すべての社長がそうだとは言いませんが、長時間働ければ成果が出せる、𠮟咤激励で人は動く、圧力は必要悪など、ニュースで取り上げられる会社の事例を見ていると、人の尊厳や心や体への理解があるとは言い難いです。

会社を車に例えるとハンドルが「経営者」、エンジンが「人材」、タイヤやボディーは、研究開発、営業、生産、財務、商品といった組織の機能に置き換える。このように捉えると、事業を動かしていくのは、「人材」であることが把握できると思います。そして、その「人材」をどのような考え方をもとに動かしていくかを決め、ハンドリングするのが社長となります。

加えて言うのであれば、今、国をあげて、ビジネスの競争優位性を高めるために人材戦略の必要性を訴求し、人的資源経営の推進など、これまでの日本の雇用慣行を変える取り組みが推奨されています。こうした背景には、日本経済・社会の観点からだけではなく、国連において採択されたSDGsからの影響も受けています。SDGsの達成にとって、ビジネスと人権は重要な概念という位置づけになっています。

つまり、国際社会でビジネスを展開していくうえで、人権に悪い影響を与えていないかを問われる時代へと大きく変化しているということです。数年前に日本を代表する自動車会社のトップが、過重労働とパワハラで自ら命をたった事案について、会社の責任を認めて謝罪しました。日本を代表する大手企業のトップが謝罪コメントを出したことに非常に驚きましたが、それはグローバル企業が人権に関して敏感になっていることを伺い知る出来事となりました。

長時間労働、過重労働、ハラスメント、など社内外に関わらず、人権に関する希薄さが招く、人に対する問題を多くの企業が抱えています。そうした人権意識の欠如が、悪評や風評による企業の信用度、ブランド価値が低下する危険性から距離を置いた経営に導いていくのが、人材の資産価値を高めていくという観点です。

大きなテーマとなりましたが、ここまでに、企業の規模に関わらず、数年先には取引先から人権に関する確認がある可能性が否定できない状況になっており、各社が人事領域に対する考え方をてこ入れする時期に来ていることをお伝えしてきました。

人材に関する考え方は、社長が先導しなければ事業との関係性が弱く、人事のための人事となる傾向があります。つまり、ここで述べている人材観というのは、目の前の業務管理から将来の事業展開にも大きな影響を与える重要なものです。

社長!会社にとって、「人」とは何ですか?

もし、まだ「人材は消耗品」と考えているなら、悪いことは言いません。一日も早く、人材の資産価値を高める視点を取り入れることをお勧めます。