第70号:肩書勝負の人生が終わる前に考えるべきこと

 先日、人材支援に携わる仲間たちと「ある話」で大盛り上がりしてきました。その話題とは、人は変わるのか、変わらないのか、そして、それを受け入れることができるのかということです。これは、ある程度の年数を公私ともに歩んでいるからこそ、腹を割って話すことができるテーマだと思っています。

 皆さんは、役職定年後に周囲から受ける扱いについて生の声を聞いたことがありますか。部下だった社員が、上司になり理不尽な要求をしてくる。これまでの経験を踏まえて、上司に意見したら出向させられた。職場の仲間であり、趣味の仲間だと思っていた同僚たちが一斉に離れていった。など、職位の変化による人間関係、異動、出向は思いのほか、負荷がかかります。

 このような変化の真っ只中にいる時、その状況を受けいれることができずに苦々しい表情となる、一言ひとことに棘がある、悟ったように穏やかな雰囲気を醸し出すなど、人によってさまざまな言動を表出しています。当の本人は気がつかないかもしれませんが、本来のその人が持っている良さとは異なる性質のふるまいは、違和感や嫌悪感といったインパクトを周囲に与えることがあります。

 人間は社会的動物ですから、絶えず他者との関わりによって自己が存在しています。ですから、付き合う人によって自身が形成されることとなりますが、日本男性の大半は企業組織の中にしか「社会」を築いてこなかったために、そこから切り離されたとたん戸惑いを覚えます。

 社内で通用していたやり方、ルール、常識とは全く異なる世界に触れた時に、「これはおかしい!」と憤りを感じる人もいれば、「こんな世界もあるのか」とそれを受け入れる人もいます。この違いは、環境への適応力の差があるのではないかと考えています。

 会社や役職という肩書を失った事実を受け入れることができず、他を非難することや否定することにより自分を守ろうとするタイプが前者です。一方で、狭い世界に生きていたことを痛感し、新たな世界を広げようと模索しようとするタイプが後者です。

 両者ともにある程度の「自信」を持って外の世界に出ていきます。ところが、自分ができることと世間が期待していることが、一致する機会が少なく、そこで初めて自分の市場価値を理解することになります。自分は必要とされる人間だと思っていたにも関わらず、労働市場の中で価値を見出してもらうことができない現実を突きつけられてしまうことがあります。

 そうした事実と向き合うことができるかが、次の職業人生を切り開いてゆけるかを決める重要な要素となるのではないでしょうか。自分の信じていることを疑わない芯の強さは必要ですが、市場が求めていないものを押し付けようとしても全く持って意味がありません。

 だとしたら、どのようにすれば自分の経験や知識が活かせる場や道を導き出すことができるのかと、手探り状態であっても動くことに重きを置ける方が建設的なのではないかと思います。職業人として生きていかなければならない期間が長くなることが明白になっている時代、結局、生き残りたいという願望があるのならば、その道を開拓していく力が必要となります。

 社会に出ていく元幹部社員・社員たちの質が、あなたの会社の評判を作ることにもつながります。よくも悪くも期待を裏切らない社員たちを送り出してほしいと願っています。

 あなたは肩書がなくなっても生きていけますか?