第84号:名経営者が大切にした人物評価
「大野さん、あの人絶対にいいですよね!」と弾む様な声で、共感を求められ困ったことがあります。採用コンサルティングの一環で、クライアント企業の採用面接に同席した時のことです。採用面接の場面では、まるで一目惚れしたのかのように応募者に好印象を抱いてしまうことがあります。
「会った瞬間にオーラを感じた」、「頭の回転が速い」、「主体的だ」など、評価者が高評価したい事柄に釘付けになってしまうことがあります。逆に、「言葉ぐせが気になる」、「仲間意識が低い」、「論理性に欠ける」など評価者が苦手あるいは嫌悪を感じる点から視点を切り替えることが難しくなることもあります。
このような現象は、誰にでも起きることですので安心してください。当たり前の話ですが、人が人と関わる時、お互いに相手がどのような人なのかを見極めていきます。それは、人間が古くから身の安全を守るために、相手を理解する術を習得してきました。つまり、評価者が仕事を行う上で、大事だと感じていることを優先的に捉えてしまうのは仕方がないことです。
このコラムをお読み頂いている皆さまにおいては、これまでの実務経験を通じ、人を見る目を養われてきていらっしゃることと思います。特にビジネスの最前線で企業間取引をなさるような場面では、担当者、その上司、意思決定者、企業など評価しなければならない軸は多岐に渡るため、その評価眼は確かなものであると信じたいものです。
その一方で、複数の経営者から、同郷、出身校、部活、前職などの共通点や関心事に安心感を覚えてもらい、仕事をもらった経験があるという話をお聞きします。それぞれ個別の状況によって基準を持ち合わせているとは思いますが、このような話をお聞きする度に、人の判断基軸というのは、実に曖昧模糊としていると感じます。
一目惚れとまでは極端なことでなくとも、人間同士であれば、好意や嫌悪のような感情を抱いてしまうのは致し方ないことなのではないかと思います。ですから、採用や人事評価などの基準は、誰が評点をつけても差が生じないように設計されていることが求められます。理想は、公平性や平準化が担保されていることです。
過去のコラム「第33号:成長し続ける企業のずるい人材評価術」にも書いていますが、どれだけ完成度の高い仕組みや制度を設計したとしても、意図通りの運営とならないために、組織力を高めることに繋がらないケースが散見されています。
つまり、何のために「評価」するのかが、評価者に伝わっていないケースが多いということです。例えば、採用時の集団面接などの評価であれば、ふるい落としに意識が向きます。それ自体は悪いことではありませんが、落とすことが目的化されやすく、よい人材を見つけることを忘れてしまいがちです。
さて、日系、外資系に関わらず、世界市場の中で飛躍し続けている企業の共通項の1つに、人材価値を高めている点があると考えています。企業価値が先か、人材価値が先はさておき、事業環境が変化していくことを理解していれば変化に適応できる人材を育て、守り、活かしていくことが、自社の価値形成につながっていくことを熟知しているように思います。
そこには、自社における人材価値の基準があり、それらを守りながら人物評価を加えることにより、経営の永続性を確保しているのではないかと考えています。
そろそろ、好き嫌い人事やめませんか?