第36号:やる気がない奴は仕事ができない!と思い込む「ヤバい上司」

 先日、「大野さんの仕事のモチベーションってなんですか?」と、ある会社の人事部長Tさんから質問されました。なぜ、他者のモチベーションが気になるのか尋ねると、「仕事というのは、結局のところ、やる気がないとダメなんですよ!」と言葉に熱を込めて語られました。

 この手の話はあちらこちらで耳にしますし、部下のやる気を高める方法についてのご相談もよく受けます。確かに、仕事を行うためにはモチベーションは必要です。一方で、やる気がなければ、仕事ができないというのは意見には賛成できません。

 Tさんのように、ある程度の職位も経験も豊かなた方々には、人や仕事に対して「こうあるべき」というご自身なりの定見を持っていることは少なくありません。ですから、ご自分が考える社会人としての「正解像」があり、正解に近づくことができない部下や社員たちに対して憤りを覚えてしまいます。

 火に油を注ぐようで申し訳ないですが、モチベーションが低いことは問題なのでしょうか。それを明確に指摘することができなければ、単に「気に入らない」という「個人的な感情」で部下の能力を判断する偏った上司というように映ります。

 「面倒臭いなぁ」、「やる気ないわ」と、社員たちが文句や愚痴を言っても日常の業務は回ります。(当然ながら、だらだらとしていれば生産性は下がりますが…)ですから、普通に考えれば、社員のやる気一つで業務に影響ができるような会社は、危なくて仕方がありません。それにも関わらず、この1点に拘る上司たちは罪作りです。

 モチベーションという言葉には、さまざまな意味や視点が包括されています。仕事に対する意気込み、熱量、仕事の意義、目標など、何を問いたいのかはっきりしないまま、「やる気があるのか」と部下を追い詰めるのは酷です。答えに窮すると同時に、上司に対するネガティブな感情が生まれることも考慮に入れなければなりません。

 また、別の見方をするならば、仕事の成果や結果が出せる要因は、「やる気」であると結論づけている場合があります。その経緯は分かりませんが、全ての問題は「本人のやる気」であると決めつけていると、成果を高めるアプローチが本人任せになってしまいます。

 少し飛躍して伝わってしまうかもしれませんが、上司本人は任されている役割や結果に対する責任を、部下に委ねてしまうことになります。上司の責任を自らが追求せずに部下たちの「やる気」に任せるということは、上司としての「やる気」にかけるのではないでしょうか。

 なんだかまどろっこしくなりましたが、上司自身が自らの仕事の成果、結果を明確に定義していない(できない)ため、「みんなのやる気が上がれば、なんとかなる」と思い込んでいる節があります。

 結局のところ、「モチベーション信者」の上司は、経営資源を適切に組み合わせて、有効活用するという自身の役割を忘れてしまう傾向があるということです。経営から任されている資源や資産を活用と運用で、その価値を上げていくという使命を脇に置いて、ただ消費することで手一杯となってしまいます。

 「やりがい」という聞こえのよいフレーズばかりが飛び交う職場を築いてしまうと、仕事の仕組みや体系化を推し進める視点がすっぽりと抜け落ち、小手先の対処で満足するようになります。結果として、業務上の課題解決は先送りされますし、部下の指導、育成は気持ち一辺倒で実力を養う機会を奪うことにもつながります。

 最後に念を押しますが、モチベーションは大事です。しかし、全てではありません。上司が上司としての機能を果たしていくには、何をすべきなのか検討することが必要です。

 社長!あなたの右腕は、「やる気」頼りになっていませんか?