第124号:経営の眼を曇らせる「情の人事」

 「ごもっともなんだけどさ、自分を支えてくれた社員を近くに置いておきたい経営者は多いと思うよ。」と前回のコラム「123号:人を見る目が会社の命運を分ける」をお読み頂いた経営者から頂いた一言です。確かに、長年一緒に働いてきた社員や苦楽を共にした部下に対する情が強くなることは事実だと思います。

 幹部登用において、「情」や「恩」を優先する経営者は存在します。その背景には、経営者が無意識に求めている安心感も影響しているのではないでしょうか。自分にとって居心地の良い人、反発せず従順な人、裏切らないと信じられる人を選ぶことで、自身が行う経営判断に対する不安を和らげたいと思ってしまうのは自然なことだと思います。

 そこには、和を乱したくないという価値観や、経営トップは孤独であるがゆえに「理解者」をそばに置きたいという心理もあります。つまり、幹部登用とは人事の話であると同時に、経営者自身のメンタルマネジメントにもなっています。

 経営者にとって、創業期から苦労を共にしてきたメンバーや、何年も自分に尽くしてくれた社員には、特別な感情があります。功労や忠誠を報いたいという思いが、「報酬としての昇進」に転化されやすくなります。これは経営者として自然な感情であり、人間関係を重んじる企業文化では当然の発想です。

 また、幹部社員への登用基準を曖昧にしておくことで、幹部登用されない社員への配慮をしている場合もあります。経営者が人事に直接関わっている企業は、他の社員に対して「自分は評価されていない」と捉えられることを恐れ、はっきりとさせない状態にしていることもあります。

 特に、「人を大切したい」という価値観が強い経営者ほど、「能力」「資質」という基準で合理的な判断することを嫌いがちです。冷静に人事を決定することが、「冷たい経営者」として社員に映ることを極端に恐れているように感じることがあります。

 このような経営者の心理によって、組織のあらゆる層に波紋を呼びます。まず、適性を欠いた人物が管理職に就けば、現場の混乱は避けられません。指示系統が乱れ、業務の優先順位が不明確になり、部下の士気が低下します。

 とくに優秀な中堅社員ほど、上司の判断力や人間性を厳しく見極めているため、信頼に足るマネジメントがなければ、その能力を十分に発揮することはありません。これは、生産性の低下や離職リスクにも直結する重大な問題です。

 また、「誰が幹部に選ばれるのか」という基準が不明確になることも大きな弊害です。努力や忠誠心、年功といった曖昧な評価軸に基づく登用が繰り返されると、社員たちは「自分がどうすれば評価されるのか」を見失い、組織全体の成長意欲や愛社精神が損なわれることもあります。健全な競争や挑戦の文化が失われれば、優秀な人材ほど社内に未来を感じられず、結果的に離れていきます。

 さらに深刻なのは、経営目標の実行におけるズレが生じることです。経営の舵取りを担うべき幹部が、会社のビジョンや方針に十分な理解や共感を持っていなければ、現場に伝わる意思は曖昧になり、組織全体が迷走します。幹部とは、単なる実務遂行者ではなく、戦略を現場に浸透させ、意思決定の質を高める存在である必要があります。その役割に資する人物かどうかを見極めずに登用すれば、会社の成長は確実に足踏みすることになります。

 とはいえ、「心情」というのは無視できるものでもありません。大切なことは、「感情を否定せず、同時に経営としての判断軸を持つ」ことです。そのために、以下のような視点を持つことが必要です。

 まず、報いる場所を変えることです。忠誠や功労に報いること自体は否定せず、それを「役職」という形に限定するのではなく、「表彰」や「報奨金」、「プロジェクトの特任」など別の形で感謝を示す施策を検討することです。役職はあくまでも経営的な判断のもとに与えられるべきであり、感謝の印ではないことも忘れないでください。

 社員に対する「誠実さ」という視点も欠かせません。冷静な幹部登用は「冷たさ」ではなく、「適性を見極める」ことこそが、長期的には社員ひとり一人、そして組織に対しても誠実な選択となります。適性が合わない人物を無理に登用してしまえば、その人自身、部下や関係者までもが苦しむ可能性があります。

 そして、判断基準を言語化することです。あらかじめ基準が明確に定義されていれば、その判断は個人的な好き嫌いではなく、経営方針に基づく判断となります。「人を思う心」と「組織を守る責任」を同時に抱えながら、苦しい選択を下すには基準設定が必須です。

 あなたがその人を幹部登用したのは、未来への投資ですか?それとも、今の不安を和らげるためですか?