第56号:不正発覚企業から読み解く日本人の特質
“今年は”というべきか、“今年も”と言うべきか悩むところではありますが、自動車業界に関わる不正が取り沙汰さてれています。一部では、国の審査基準が厳しすぎるのではないかという見解もあるようですが、国際競争を勝ち抜いていくためには、一定の厳格さは必要なことは言うまでもありません。
順守すべき基準を則ることができない製品を市場に出すことに、抵抗感を抱いたのは誰だったのか。内部告発が絶えないことを考えると、「自分たちの仕事や製品に対する誇りを持っている社員」の存在が浮かんできます。強い使命感、正義感を持って業務を担っている社員というのは、現場には一定数存在しています。
経営が掲げる目標と現場のギャップに対して、如何にその溝を埋めることができるのかと日々悩みながら会社からの要求に応えようと努めている社員です。同僚、先輩、上司を巻き込みながら試行錯誤していますが、無駄骨に終わる、立ち行かないことが続けば、多くの者は何もやっても駄目だと無気力な状態へと陥ってしまいます。
一般的に考えれば、組織の論理に従っている方が明らかに「楽」です。それでも、自分の信じることを貫き通す強さには感服します。軋轢や対立の中心になるわけですから、自身が窮地に追い込まれること、仲間や会社を裏切ったのではないかと罪悪感を持つこと、圧倒的な孤独、不安や恐怖と向き合っていくこととなることでしょう。
そのような思いをさせる前に、なんとかならなかったのか…。前回のコラム「第55号:忠実な社員を増やしたい社長へ」で書きましたが、経営者がのどから手が出るほどほしいと願う「忠実で懸命な社員」の首を自分たちで締め上げているように映ってしまいます。
憶測が入りますが、「組織に忠実」な幹部社員たちは、現場で起きている問題と対峙することができなかったのではないでしょうか。自社が置かれている事業環境が激変し続ける中で、親会社が求める期待値、国が求める基準値の板挟みとなり、思考停止して安易な方向に流れてしまった。
日本人論を語る時に「空気」が出てきます。ある研究者の言葉を借りるならば、この空気というのは「ある種の前提」だと言っています。その前提は、支配層に都合がよいものを人々に押し付けることであり、合理的に人を動かすことできるものだそうです。
加えていうなら、その支配層が合理的に人を動かすために、権威を作り上げてきた。つまり、権威ある者が合理的に物事を進めるわけではなく、合理的に物事を進めるための権威が必要な時代があったと述べています。この話は、太平洋戦争時の日本と空気という文脈で日本の組織を考える際に、極めて重要な視点を与えてくれます。
今回の内部告発に当てはめてみると、親会社ができたことによりこれまでの前提条件が崩れてしまいます。それを阻止するために、「これまでの前提条件からはみ出すな」という同調圧力が高まることになります。前提条件は、空気ですから、「合理性」はありません。
多くの社員たちが、検査のみならず様々な意見を述べてきたはずです。ところが、この空気に慣れ切ってしまっていれば、懸命に意見したところで言うだけ、ムダになるということです。経営能力の欠如と言ってしまえばそれまでですが、「前提条件」を修正できなかったことは痛手だったのではないでしょうか。
あなたの会社の前提条件はなんですか?