第15号:花形部門で残念な社員が量産される理由

 

 「大野さん、中途社員がうちの製品を喜んで売ってくれるんですよ。うちの社員たちは、売れることが当たり前で、売れないのは製品が悪いからだと文句ばかりなんで、お客さんが喜んで買ってくれると言われると、誇らしい気持ちになりますよ。」と、人事責任者から打ち合わせ中にお伺いした話です。

 会社によって花形部門は異なりますが、社内外問わず、圧倒的に有利に仕事を進めることができる部門というのが存在します。例えば、顧客や取引先から製品に対する要求や要望を拾いあげ、次の製品開発に繋げるためのパイプ役を果たしている営業部門、製品開発部門などが主導権を強く握っていることがあります。

 上記の例のように、製品に力がないから売れないという発想に陥ってしまうことは、ある面では納得できる現象です。ここに、花形部門の社員たちがハマってしまう罠があります。部門に力があるが故に、その状況に甘んじてしまうということです。

 会社の中枢は、自分たちである。私たちが、会社を支えているという自信があります。それ自体は悪いことではありませんが、自負心と実力に乖離が生じている社員が存在してしまうということです。部門の力を自分の力と勘違いしてしまい、他部門に自分たちの要求を一方的に押し付ける、関係者に対して傍若無人に振る舞う、など目に余るものがあります。

 強い影響力を発揮できる部門ということは、会社の存続を左右するほどの実績を生み出しているということでしょう。そのため、社員たちは目前の業務に追われていることも多く、機動性の高い人材が重宝されがちです。つまり、些細なことには目をくれず、突っ走れる勢いが必要とされてしまいます。

 このように、部門という後ろ盾と、業務上の性質が相まって、万能感が妙に高い社員が生み出されていきます。こうした見方が全てではないですし、有能感も必要ではありますが、最も重要なことは部門や肩書きに応じた能力が備わっているかということです。本質的な胆力が鍛えられていなければ、そのプライドは単なる張りぼてでしかありません。

 これは一見、当人たちの問題のように見えますが、実は、その部門特有あるいは組織全体の根深い問題が隠されている可能性が考えられます。それが何かとここで特定することは難しいですが、一つ指摘するとするならば、花形ともてはやされるにふさわしい我々であり、自分たちは他者と異なるという矜持があるのではないでしょうか。

 その自尊心が間違った方向に発揮されることにより、自部門の権威づけや、優位性を示すことばかりに意識が向いてしまう。本来すべき、事業推進に必要な事柄を置き去りにしているということはよくあることです。気がついた時には、時代の波に乗り遅れていた、大量に社員が退職したという話は、本当に頻繁に耳にすることです。

 さて、皆さんに考えて頂きたい点は、このように事業に大きな影響を与えるような部門の運営、またその人材管理面でのサポートはどこの部門が担うのが最適かということです。人材管理であれば人事だと即答できますが、部門にも深くかかわる必要性があるとなると人事部門の介入はどうしても浅いものになってしまいます。

 また、事業展開や運営との兼ね合いを考慮に入れることが必要不可欠となります。そうなると、事業、業務、人材という3つの側面からアプローチしていかなければならないでしょう。自社の要となる部門の力を上げていく取り組みは、会社の価値を高めることに直結します。それができるのは、一体誰なのかを問うてみてはいかがでしょうか。